「影像2013」 参加作家インタビュー(8) 平松伸吾さん

チャイナタウンを撮ることをめぐって

平松伸吾

1973年愛知県生まれ。
写真家新倉孝雄氏より薫陶を受ける。2002年東京綜合写真専門学校卒業。

個展
2005 「台北龍眼」アイデムフォトギャラリー・シリウス
2006 「華やかな街の中で」プレイスM
2007 「華やかな街の中へ」コニカミノルタプラザ
2008 「Just standing alone 台北龍眼2」ギャラリーオーク
2010 「晩會ban-kai」ギャラリー蒼穹舎

 

3年間の台湾滞在から

──平松さんのチャイナタウンというテーマは、いつ頃はじまったものなのですか?

もともとチャイナタウンを撮るために写真をはじめたんです。でも当時はカメラの使い方すら知りませんでした。

大学を卒業後、就職する前にいろいろなところへ行ってみようという感覚で台湾へ行ってみたんです。僕の実家は愛知県豊田市で自動車関連の工場が多く、コミュニティの中に台湾人、中国人、ブラジル人といった人たちがわりあい普通にいるところでした、同級生にも隣人にも。うちの家族と交流のある台湾人の家庭もあり、とても親近感を感じていました。そういうこともあって初の海外ひとり旅は台湾へ行ってみようと。そこからいろいろな国に行ってみればいい、というくらいにしか最初は思っていなかったんですが、それで1997年に台湾に出かけ、結局三年そこに居ついてしまったのです。

現地で友人もできたし、中国語も勉強してみようと語学学校に入り、勉強するうちにだんだん欲が出て、もう一度、台湾で大学に入ってみようと思い立ち、大学院の社会学専攻の学部に入りました。そこで担当の先生のお手伝いなどやっていくうち、台湾の社会にすごく興味をもつようになりました。

台湾という国は、国として認められていない一地域ですね。そのあいまいな国というか、あいまいな文化というものは何なんだろう、中華とは何なのか。そういうことを研究するのも面白いんじゃないかと思って。ちょうどその時期は、李登輝が総統になって台湾の民主化が盛り上がっていて、台湾の人たちも自分たちは中国とはまた別だということをすごく意識しはじめていました、とくに若者ですね。そういう台湾の若者の意識に興味をかき立てられ、それを研究していくのも面白そうだということになった。けれども、それまで社会学の勉強をしてきたわけではないし、どう手をつけるか方法がわからなかった。僕が教えてもらっていた社会学というのは、ほぼ統計学で、データをとって分析していくやり方だったということもあり、勉強を続けるのがストレスになっていました。

その頃に知り合ったルームメイトが2人いて、アメリカ人とベルギー人、どちらも写真家でした。台湾で英語を教えながら作品の写真を撮っている人たちだったんです。その2人が、まあ、息ぬきに写真展でも見に行こうと誘ってくれたのが、台北の市立美術館でやっていた荒木経惟さんの展示でした。荒木さんがアジアの都市をバイクの後ろに乗ってバーッと撮っていった写真が壁いっぱいに貼られていて、それに衝撃を受け、ああ、こういうことで社会というか、人の生きている姿っていうものを表現できるんだというところから、このやり方しかないと。

──ちなみに、ルームメイトだったアメリカ人とベルギー人の写真家お二人は、どんな作品を撮っていたのですか?

アメリカ人の彼は、遺跡ですね、台湾を拠点に東南アジアの、とくにクメールの遺跡をずっと撮り歩いているという人でした。もう一人のベルギー人の彼は、また対極で、モンタージュの写真をやっていた人ですね。人間とか建物とかいろんな写真を撮ってL判に伸ばし、それを別のかたちにしてしまうという。全然別の写真を二人が撮っていて、最初、彼らに写真を教えてもらおうと思ったんですけれど(笑)。彼らとは一年半くらいルームメイトでしたが、結局アパートが取り壊されることになり、はなればなれになりました。まあ、そこで生活したこと、しかも台湾という国で、その頃は台湾に留学して中国語を学ぶという西洋人も多かったんですね。なので、ものすごくいろんな人種の人たちと話す機会をもてたし、ふだん生活でコミュニケーションをとることが多かったんです。

──コミュニケーションは、英語で?

中国語です。そのやり方は、僕からすれば、すごくフェアだと思いましたね。それぞれの母国語ではない別の言語で話をするということが。

そういう中では人種だったり国だったり、そういうものへのこだわりがなくなる、日本人だからとかアメリカ人だからということがなくなるというか。わりあいコスモポリタン的な意識になっていくのだけれど、でも一方で、ちょっとケンカしたり意見が合わなかったりすると、やっぱり根に持っている部分が出てくる。お前は日本人だからどうだとか、感情的になるとそういうものが出てくるわけです。共用している冷蔵庫の中のことだとか、掃除のことなんかで言い合うと、日本人はクソマジメだ(笑)と。ケンカしているとつい相手の人種のせいにしてしまったり国のせいにしてしまったりしますね。あとで仲直りすると、やっぱり人種じゃなくて個人の性格だよね、と落ち着く場面が多いんですけれど。

人の外見であったり特徴、その差異というものがどれだけの意味をもつのか。そういうことを考えれば考えるほど、やっぱりこれは文章にするのが難しいテーマだなと思えてきました。まさにそのとき、荒木さんの展示を見て、ワーッと来るものがありました。アジアのいろいろなところで撮られた写真が無造作に交錯しているという展示だったんですが、こういうふうに見せられると、無数のいろんな違いだとか差異だとかが提示されているんですけど、なにかこの一つの空間に散らばる全てから同じものが見えてくる。こういうふうに表現すると、人っていうか、社会っていうものを自分でも捉えることができるんじゃないか、またそれを他人にも伝えることができるんじゃないかと。

──その荒木さんの展示では、アジアのさまざまな土地で撮られた、いろいろな人や状況を捉えた沢山の写真だけれど、そこに“同じもの”が見えたと?

荒木さんの写真は、たぶん、荒木さんの視点でオートバイの後ろから街なかを走りまわりながら撮ったっていうことで、そういうくくりで同じに見えたということもいえるんですけれども。その展示を見て、自分もこうやって写真を撮っていこうと思いました。自分のやり方として、チャイナタウンというもののイメージを引きだして、それらをまとめて一つに表現していくことができるのではないか。そう考えてみると、僕がチャイナタウンを撮るのは、同時代を拾いあつめるわけじゃなくて、差異の中にある同じものを、同じに感じるものを拾いあつめているのだろうと、そう思うんです。

師との出会い、スナップショット事始

──台湾留学中に、写真を撮りはじめるわけですか?

いや、そうではないんです。いちおうマニュアルのニコンFEというカメラは買ったんですけど、まったく使い方がわからなくて、露出であるとか絞り、シャッタースピードとか、そういうことをルームメイトに教えてもらおうとしてもさっぱりわからないんですね。それでこれは、一から勉強してみなくちゃならないということで、まあ、学校を替えようかと探しているうちに、日吉の写真学校(東京綜合写専)、たぶんお前のやりたいことならここじゃないかと教えてもらい、見学に出かけたんですね。台湾から(笑)。

──台湾から日吉に留学しようと。

最初はそうでした、3月に日吉の学校へ入学して、夏まではまだ荷物は台湾にありましたからね。

──その学校で、写真家の新倉孝雄さんに出会われたわけですね。

新倉さんからは写真を撮る姿勢について、一番多く教えてもらいました。ただたんに僕がカメラを手にしチャイナタウンを撮るということだったら、それは報道写真みたいになってしまったかもしれないけど、それを表現としてやっていく姿勢を教えてもらった気がします。

──それはきっと、こうしなさい、とかっていう指導ではないのでしょうね。

ええ。新倉さんは、たとえば、撮影しにいくときは頭をおいていきなさい、とか、とても抽象的な言い方をされるので、たぶんわからない人には全然わからないかもしれないんですけれど。頭をおいていきなさい、というのは要するに、事前の準備だったり固定観念だったりを抜きにして撮影しなさい、ということだったのだろうと思います。写真を撮るということは自分にとってどういうことなんだろう、と考えるように仕向けてくれました。

──日吉の学校に在学の頃から、チャイナタウンの撮影ははじまっていたんですか?

はい。まず国内のチャイナタウンを撮りはじめ、それからシンガポール、バンコクのチャイナタウンへ出かけていきました。在学中に撮っていたのは、35ミリフィルムで、引いた視点からのストリート・スナップです。いろんな人が入っていて、いろんな生活があって、という。横浜だったら、きらびやかな看板があり、人がゴチャゴチャと交差しているという感じで撮っていました。

チャイナタウンの路上という日常へ

──平松さんの作品、6×6判で撮られた、画面の真ん中に一人の人物がいるシーンという印象が強いのですが、その方向が出てくるのはいつからですか?

それは学校を卒業してからです。在学中、金村修さんから「きみの写真は周辺部がいらないね」といわれたことを思い出したんです。それで写真を見直すうちに、周辺の建物、人、モノが見えなくなったほうが自分のチャイナタウンのイメージに近いことに気づいて。正方形の6×6で試してみようということになり、それまでのカメラを処分し、最初はローライフレックスを使いました。ローライで、下からのぞいて撮るのが全然撮れなくて、いろいろ人に相談しているうちに、手持ちの6×6というのがあるよとマミヤ6というカメラを教えてもらって、それで撮りはじめ、ようやく作品になりはじめたという感じです。

2003年にそのカメラをもって、ふたたびシンガポールからタイのバンコクまで、一ヶ月撮影し、その一ヶ月のあいだで歩いて自分で感じてきたチャイナタウンのイメージ、そのエッセンスが今でも写真を選ぶときの核になっている気がしています。

──平松さんのチャイナタウンの写真というと、幅の広くない路があって、その左右に店や家屋の庇が出ていたり、影の部分があってという、通り抜けていく路地のイメージがすぐ思い浮かぶんですけれども、撮るのはそういう空間が多いですか?

そうですね、チャイナタウンという地理とか空間は、やっぱり狭い。路幅が狭く、路の両わきにモノが散乱し、積み上げられている。人がすれ違うと少し肩がふれるくらいだったりしますから。なにかしら自分の中にあるチャイナタウンのイメージを探していくと、やっぱり路の上になる。バンコクならバンコクのチャイナタウンの名所とかではなく、ふだんから人が生活をしている路ですね。路っていうのはどこへ行っても同じで、必要な空間です。そういうところを撮って、とにかく行ったり来たりしているだけで、撮っているときに、自分の思っているチャイナタウンにまさにいるという感覚にもなれる。そこでは日常でいられるみたいな。

僕はよく思うんですけれど、写真を撮るためにチャイナタウンへ行く、もしくは海外に行くわけですけれど、それは僕の中では旅じゃないんです。旅というと非日常の行為じゃないですか、なにか日常から離れて、違いを見つけて気分を高揚させたりリフレッシュさせたりする行為ですよね。それとは違うという意識があって、自分の日常そのままの状態で行って、日常の中での状態で写真が撮れる、しかも自分のもつイメージどおりの同じ、同質のものが写真に撮影できるという。たぶんそうした繰り返しですね。

──今まで行ったのは、どの地域のチャイナタウンですか?

アジア各地のチャイナタウンは、だいたい行きました。日本、フィリピン、ベトナム、ラオス、カンボジア、タイ、シンガポール、インドネシア、マレーシア。

──アメリカなどは?

行ってみたいです。ただ、今年の春、仕事で船に乗ってオーストラリアへ行き、シドニーやオークランドにもチャイナタウンがあって、全然フリーになる時間がなく撮影はしていないんですが、その前を通りすぎ、もしかするとここは違うな、という印象をもちました。撮影してみたら、同じにはならないかもしれないと。

レポートにはしたくないんです。レポートになってしまうと、じゃあアメリカやヨーロッパにもチャイナタウンはあるから、そこへも撮りに行くべきだということになるでしょう。やりたいのはそういうこととは違うと思っています。そうなってしまわないためにも、アジアのチャイナタウンで撮ってきた作品を、一度このへんで本にまとめてみようと計画中です。自分のチャイナタウンの写真をどうしていきたいか、どう見せていくか、という答えはまだ見つかっていませんが、本を作ったりグループ展に参加することをつうじ、もっと考えていこうと思っています。

場所を撮るということ

──影像2013展には大きく出力した2枚の写真を出すとのことですが、これはどういう観点から選んだのでしょう?

展示セクションのキーワードとなっているCircuit(周縁、周回)という言葉から、自分なりに考えていきました。さまざまな国にあるチャイナタウンですが、そこは中国ではないわけですね。その国ごとの文化という要素も吸収している。今回展示するこのフィリピンのマニラで撮った写真は、チャイナタウンのはずれ、もうその外なんです。墓地の中にあるお堂。そこには観音様が祀られていて、道教の神様がいて、その奥にイエス・キリストがいるという光景です。チャイナタウンのはずれだし、ガラス越しに撮っているので、今まではセレクトしなかった写真なのですが、今回のグループ展のためベタ焼きを見直していて、この写真に目がとまったんですね。

もう一枚も、同じフィリピンですけれども、これもチャイナタウンの場所からはずれたところで撮ったもので、しかも僕はこれまで人に話し掛けることをせずにほとんどの写真を撮ってきたんですが、この被写体の人とは、撮ったあと少し話をしました。自分はフィリピン人だけど、誰々というチャイニーズの親戚がいるだとか、そういう話をしてくる人で、年齢不詳だし、着ている恰好もなんかヒップホップな感じ、入れ墨をしているみたいだけどたぶんこれはシャツの絵柄でしょう。ベタ焼きで見直して、この写真もすごく気になってきました。チャイナタウンの周辺に住んでいる人たち、僕も含めて、やっぱりなにかしらあいまいな地域であるわけですね、文化的にも人種的にも。そういう場所のイメージを2枚の写真で探ってみようと。

──平松さんの写真に出てくる人には、とりとめなく目を宙に泳がせていたり、表情をゆるめているような人はあまり見当らなくて、どこか求心的な眼差しやたたずまいをした人が多いという印象を受けます。

今まであまり深く考えたことはなかったんですが、影像2013展のための前回のミーティングで、そのときはチャイナタウンではない写真をメンバーのみなさんにお見せしたと思うんです。その時、作品について「もしかするとどこの場所で撮っても同じ感じになるのかもしれない」といわれたことが、僕にとって衝撃的でした。あのあと考えてしまったんですね。場所の写真を撮るというのは、いったいどういうことなんだろう。僕が写真を撮って、それがすべてチャイナタウン的なものになってしまうのだとしたら、はたしてチャイナタウンで写真を撮る意味があるのだろうか、と。

でも、考えをめぐらせてみると、自分の根源的なチャイナタウンという言葉に対して抱いているイメージをもってその場所で撮影させているわけですから、どこで撮ってもそういう印象を受けるチャイナタウン的なものになっても当然だろう、とも思います。

──チャイナタウンを撮っているというよりも、平松さんは、チャイナタウンをとおし(先ほどの平松さんの言葉を使うなら)日常なるものの感触がそこにしっかりあるシーンを捉えている。ある意味、チャイナタウンの力を借りて、そういうものを見出し、そうやって眼差しを育ててきている、ということではないでしょうか。

写真を撮る側として拠るべきところは、自分がその場所に立っているというそのこと以外のなにものでもないと思います。僕がチャイナタウンというそこに立っているということ自体で、それがチャイナタウンの写真であるということはもう成り立っている。わざわざチャイナタウン的なものを撮ろうとしなくてもいいんです。どこであろうとも目の前の感触をしっかりと捉えてゆくこと、きっとそれが僕なりの眼差しなのだろうと思います。

(2013年8月20日、インタビュアー:大日方欣一)

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