「影像2013」 参加作家インタビュー(11) 廣瀬育子さん

『in me』までの経過

廣瀬育子

1974年京都生まれ。立命館大学文学部哲学科心理学専攻卒業。

日本写真芸術専門学校二部卒業。森近真氏のアシスタントを経てフリー。東京在住。カルチャー誌でのポートレート、ファッション、ライフスタイル等の雑誌、カタログ等、コマーシャルの仕事と並行して作品の写真を撮っている。

個展
2003 「japan」京都neutron B1Fギャラリー
2010 「piercing liquid」 neutron tokyo
2011 「concrete fragments」 bar「Ba」 

グループ展
2011 「来るべき世界」neutron tokyo ほか

 

カメラマンへの道

──まず、そもそもの初めに遡ると、廣瀬さんはどうして写真やろうと思ったのですか?

廣瀬:あんまりカッコいい理由はなくて、大学を卒業したときがちょうど就職氷河期で、行き先が決まらず、そこで一回挫折感を味わったんですけど、一年間くらいフリーターをやっていて、そのときにカメラを買ったのがきっかけです。

──どんなものを撮ろうと?

廣瀬:なにかやってみたいという興味はあったんですね。佐内正史さんとか長島有利枝さんだとかの写真を見ていて、なんとなくそういうのやってみたいなと。
 大阪の高槻っていう中間都市にあるデパートで洋服の販売員をしていましたが、でもこれを一生やるのはどうかというのはあって。そういうときに父が、ちゃんとやりたいなら学校へ入って勉強したら、と言ってくれたんですね。それで東京へ来て、渋谷の写真専門学校へ入りました。
 最初、広告写真のコースに入り、4×5でスタジオ撮影みたいな授業もあったんですが、週一回じゃあまり身につかなくて。でも、街でスナップを撮ってくるという課題を出され、それがおもしろかったから2年にすすむとき報道写真のコースに替えました。

──学校を卒業してから、どんなふうに写真の仕事をして独り立ちするに至ったかを聴かせてください。

廣瀬: まあ、振り返ってみると自分でもよくやれたなとは思います。写真学校を卒業して、半年くらいしてから商業カメラマンの師匠につき一年半ほどアシスタントの仕事をしました。そのときは、自動車会社で新製品の検討用につくる社内向けカタログのための撮影だとか、家電メーカーの商品をウェブに発表する目的で撮ったり、人を撮る仕事もありました。

──アシスタント時代に身につけたのはどんなことが大きかったですか?

廣瀬:そのときはわからなかったんですけど、カメラマンって段取りの職業なんですよ。先読みっていうのか。現場でカメラが壊れたらダメだから、おさえのカメラも持っていくし、こういう感じにしましょうと前もって打ち合せしても、その場で変わることがあるから、想定してそういうときの次の手も考えておかなくてはいけなかったり。
 また、その場でお客さんを納得させなきゃいけないんですね。こういうのを撮ってください、とオーダーくれた人に、「ああ、いい感じですね」とOKをもらわないと成立しないので。どういうやり方でそうもっていくか、という仕事のやり方と段取りですね。

──けっこう短い期間で、アシスタントを卒業しましたね?

廣瀬:そうですね。アシスタントしているあいだに一度、京都で個展やってるんです。個展が決まったことが一つのきっかけになり、これからの自分の進む道、作品の写真も撮っていきたかったし、そういうことを総合的に考えて、師匠も背中を押してくれて、アシスタントをやめました。

──独り立ちして、すぐ仕事はあったんですか?

廣瀬:なかったんですけど、がんばったらなんとかなるな、と思って。でも、そんなんじゃムリだった(笑)。ポートレイトやファッションの仕事がやりたかったんで、撮影した写真でポートフォリオをつくり、いろいろなところへ持ち込みました。雑誌の奥付を見て、出版社やアートディレクターの電話番号をしらべ連絡をとると、わりと見てくれるところもあり、全然相手してくれないところもあるけど、そういうアプローチをかなり続けて。よくやったなとは思いますね。
 写真のトーンが柔らかいから、ライフスタイルの写真に向いているね、ということは見てくれたいろんな人から言われて、そういうテーマを扱っている雑誌へも営業に行きました。仕事として手がけてきたのは、おもにポートレイトとライフスタイル、それに、ある時期から住宅建築を撮る仕事もふえてきました。

ワークとジョブの間で

──柔らかなトーンということでもそうだし、廣瀬さんの場合、仕事(ジョブ)で撮っている写真と作品(ワーク)の写真が、わりあい境目がないというか、近い感じがありますよね?

廣瀬:最初はけっこうわかっていなかったので、仕事も作品も一緒のこととしてやっていけるだろうと思っていたんですけど、それを実現するのってすごい大変なことだな、と、やっていくうちに気づいたし、大変ながらもそこで曲がらずにやってこれたのは、よかったなとは思ってます。

──仕事の写真にしても作品にしても、カラーなんだけど、モノトーンのような感じが全体にあって、また、室内やスタジオで撮られた写真でも、風景の写真と共通した自然光に近い光のつくり方をしていることがとても多いですね。

廣瀬:自然光で撮った写真を編集者やアート・ディレクターの人たちに見てもらって、こういう柔らかい感じで撮ってください、と言われて仕事をもらうこともたびたびあります。といっても、外で撮れないときもありますし、だから、そういう場合でも自然光っぽく撮る方法というのを、つねに意識的に研究してきました。
 雑誌のポートレイト撮影だと、タレントさんなんかはスケジュールがきびしくて短時間で撮らなくてはならないし、場所も移動できないし、ふつうの会議室みたいなところで撮ってくださいといわれることも多くて、いい感じのところをロケハンして撮りましょうということが意外に少なかったりします。そういう限られた条件の中でもきれいに撮るやり方を、自分でこだわって研究してきたつもりです。

──タレントさんのポートレイトなどを撮るとき、相手と会話をかわすものですか?

廣瀬:相手によって違います。仕事だからそこにいるっていう割り切った態度で、なかなかシャッターを開けてくれない人もいるんですね。そこがうまくいかなかったな、っていう日でも、それを踏まえた上で撮れるっていうことは、あるときからわかったんです。ムリに開けようとも思わないし、それはそれで受け入れていっても、それなりに自分の写真は撮れるってわかったので、そこに自分で気づいたのは自信になりました。
 ある女優さんを撮ったとき、その人はぜんぜんシャッターを閉ざす感じじゃなくて、向こうが一生懸命やろうと、ポーズをいろいろ付けてくれて、自分的には、ああそうじゃないんだけどな、どうしたらいいんだろう、と思っているうちに撮影時間が終わっちゃった。今日はだめだったわ、と帰ってきて、撮った写真を見たら、それがけっこう良かったんですね。そのときに、ひとつ気づいたんです。自分が現場でうまくいく、いかないみたいな気持ちはあまり関係ないんだな、と。
 あまりこちらから言葉をかけるというよりも、相手の存在を受け入れるという感じで撮っているつもりなんですが、「サウダーヂ」(2011年公開の映画作品)のスチル撮影を担当して知り合った、その時女優で出ていたポールダンサーの友だちに「ひろぽんね、自分のことMだと思ってるでしょ、でもSだよ」といわれたことがあって、あ、そうか、と。そういうことって表裏一体で、みんな両面持っていることだと思いますけれど。

どこにも属さない場所=エアポート

──個展などで発表されてきたWork(作品)のほうは、マミヤ6で撮ったカラーのスナップをこの10年以上続けてきていますね。

廣瀬:ええ。

──その展開を振り返ってみるに、僕の印象なんですけど、あるところで変化が起こっていたと思うんですね。一時期、空港で撮っていたことがありましたが、あれはいつ頃ですか?

廣瀬:2007年から10年のあいだ、あまり個展とかをやっていない時期ですね。空港によくかよって撮ったのは一年間くらいだったでしょうか。
 最初に京都で個展をやったときの作品は、情緒のある場所みたいなところで撮ったものが多かったんです。桜の下にトラックが停まっている場面だとか、ネコがいて洗濯物が下がってて、みたいな。それが次の、二人展(ひなぎく)のときには、もうちょっと人工物を入れたくなって、有楽町の国際フォーラムの建物で撮ったりだとか。その後です、空港で撮るのは。

──僕は、空港のスナップでなにかが変わった、ジャンプしたと思いました。空港が重要なんじゃないですか。

廣瀬:人工でつくったとこで、中途半端に時間がある人たちがいて、待ってるわけじゃないですか。まず、その状況が面白いし。どこにも属さないみたいな、国境と国境のあいだのスペースというか。

──廣瀬さんの空港のスナップでは、ハイライトの白で空間が包まれていて、手前にある何かを撮っていても、遠い彼方へひらけていくような感じがありますね。そういう感じは、今回の影像展の出品作(「in me」)にもつながっているのではありませんか?

廣瀬:空港を撮ったとき、広角レンズに換えたということも関係しているかな。それまでの75ミリから50ミリに換えています。

──今までの廣瀬さんのもっとも規模の大きな展示は、2010年のニュートロン東京での個展ですね。このときも空港スナップにあった空間のつかみ方、世界へのまなざしの投げ方に共通する、さらなる展開という印象を受けました。

廣瀬:あの個展をやったことは自分にとって大きくて。その少し前にリーマン・ショックがあって、その次の年、あとで確定申告して判ったんですが、仕事が前年の半分くらいだったんですよ。こんなに少なかったんだと思って。大変なときにやった個展だったんですが、それをきっかけにまた仕事も増えだして。

──そのときの作品は、東京湾岸のエリアでのスナップが多かった。わりと空港的なんですよ。遠くがあって、その先はどことも知れない彼方まで行っちゃうような。そいう空間のひらけ方が画面の中にあって。

廣瀬:あ~。広いところが好きなのかも。自分ではよくわからないですが、そんなに空港がキーワードに出てくるとは思いもよりませんでした。

だいじな石はどこにある?

──もう一つ、廣瀬さんの今までの作品を思い出してみると、スナップに人間が出てくるショットの場合だと、印象に浮かんでくるのはどうも男の写真なんです。空港でよるべなさげにしゃがんでいる金髪の若い男だとか、ベンチに座ったサラリーマンだとか、ニュートロンの湾岸スナップでいえば、浜辺にたたずむインド人のおっちゃんたちだとか。雑誌の仕事ではもちろん女性をたくさん撮っているでしょうが、スナップの作品だとそういった、どこか少しユーモラスだったりもする、ぽつねんとした男性たちの姿というものが、とても印象の濃いものとして僕なんかの中には持続しています。
 そういう廣瀬作品に、今回の影像展の出品作で、男たちにかわって女性の姿が浮かび上がってきた。それは一連の廣瀬さんのお母さんのポートレイトであるわけだけど、そこのところに、なにか新しい局面に入った、一つ次へのステップを踏んでいる、という印象を受けとるんですね。
 今回の新作について少し話してください、カメラをデジタルに換えたわけですね?

廣瀬:はい。銀塩・デジタル談義は、ブックを見せると必ず出てくる話題で、いろいろ考え方はあるようですけれど、あるアート・ディレクターの方が言っていたことで、そうやな、と思ったのは、「この時代にマン・レイがいたら、デジカメをぜったい使って、大よろこびで研究していたはずだ」と。まあ、それはそうだわな、と思って。2、3年前に言ってもらったその言葉に納得したかな、というところがあります。
 自分の中でなにか、作品の写真はマミヤで、仕事はデジタルでみたいな区別があったし、それもなんか嫌だったし、デジタルで撮っているときはこれは仕事の写真だから、という心の中でどうしてもそういうのがあって、それも嫌だったし、やっぱり一回試しにじゃなくて、なんでもほら、本気で試してみないと試しにならないじゃないですか。そういう意味で、風景の写真をマミヤじゃなくてD800で撮ってみようと思って撮りました。実際にそれをプリントして人に見せるということをやらないとだめだなと。

──撮ってみてどうでした?

廣瀬:昨日も大判プリントやってみましたが、けっこういけるなと思いました(笑)。逆光がけっこう好きなんで、そこがトーンの出方に飛びが大きいので、フィルムほどはというところも少しあるけれど、特別影響するかというとそれほどでもなさそうですね。
 マミヤで撮ってきたスナップの延長としてD800で撮った風景の写真があり、ふだん仕事で撮っているポートレイトが母親の写真になり、あとガラスの写真も入れたし、モノ(花)も撮ってる。いつもカメラマンなんですと言うと、何を撮っているんですかと訊かれて、いつも一言では説明できないんですが、わたしはこういう写真を撮っているんですということが、今回の壁面ぜんたいで示せるといいなと思っています。

──廣瀬さんの作品でいつも感心するのは、英語のタイトルの付け方がうまいっていうことです。今回の「in me」、小文字にしているところがすばらしい。このタイトルの由来は?

廣瀬:小文字が好きなんで。最初は「mother and me」にしようかなと思っていたんですが。

──それじゃあ、だめでしょう。

廣瀬:(笑)。「フィフス・エレメント」という映画があって、ブルース・ウィリスとミラ・ジョヴォヴィッチの出てくる普通の娯楽作なんですが、地球が爆発しちゃうのを悪者からふせぐために、石を早く時間前に手に入れないと爆発しちゃうという、まあ、短絡的な内容なんですけど、ブルース・ウィリスがずっと探していて、豪華客船みたいなのでコンサートがあって、なんか宇宙人のお化けみたいな人が唄うんです。その人がたぶん鍵を握っているとわかっていて、客船がバーンと爆発、ドンパチがあって、そのお化けみたいな人も撃たれてしまって、ブルース・ウィリスがその人に「だいじな石はどこにあるんだ?」と訊いたら、「in me…」といったんですよ、息も絶え絶えになりながら。どういうことだ?となって、撃たれたお腹の中をぐりぐりとやったら、石が出てきた。
 20年くらい前に見たその映画のセリフをなんだか急に思い出したんです。それで「in me」にしようと。結局、自分の中にあることだったんだな、と。
 そういうチャラい映画からタイトルをつけるのもなんかいいなと、そういうことも思ってつけました。

(2013年11月17日、インタビュアー:大日方欣一)

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