「影像2013」 参加作家インタビュー(12) 小平雅尋さん

持続と飛躍――偶然を超えることへ

小平雅尋

1972年東京生まれ。1997年東京造形大学デザイン学部1類写真コース卒業。
写真家として活動するとともに、大学在学中から写真家大辻清司のアーカイブ作業に参加。
都立世田谷泉高校講師。

個展
1996 「POPLIFE」ギャラリールポリエ
1998 「写真の在りか」北鎌倉ワイツギャラリー
2002 「ローレンツ氏の蝶」アイデムフォトギャラリーシリウス
2005 「御柱」 アイデムフォトギャラリーシリウス
2009 「続きの代わりに」月光荘
2013 「他なるもの」増田玲+表参道画廊企画  表参道画廊

グループ展
2003 「写真2003」茨城県つくば美術館
2010 「Gin-En展」東京アートミュージアム
2013 「リフレクション」Director 湊雅博 PLACE M
2014 「グループ展」タカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルム ほか

出版
2011 写真集『ローレンツ氏の蝶』(シンメトリー)

 

ずっと独りで考えてきた

──今年(2013年)はグループ展(3月26日~4月21日 湊雅博ディレクション「リフレクション」展)と5月からの個展「他なるもの」(増田玲・表参道画廊企画)、そして今回の「影像2013」と3つの展覧会に取り組まれ、まさに怒涛の1年だったのではないでしょうか。

小平:たしかに作家活動としては今までにない経験をした年だったと思います。
リフレクション展では作家同士でかなり密にやりとりを重ねて、時間をかけて場を作っていきました。グループ展は何度も経験してきましたが、そういうやり方ははじめてでしたね。

──これまでは、どんなふうに作品、そして展示を作ってきたのですか。

小平:ずっと独りで考えて、作品は完成まで誰にも見せないでやってきました。東京造形大学を卒業してからは、先生に制作の経過を見せる必要もなくなりましたし、展覧会の前にギャラリーとか学芸員とやり取りをすることもほとんどなかったし。他人の言葉によって作品が変化してしまうことが、自分で許せなかったんだと思います。
それに、目の前で起こる写真体験自体、ものすごくダイナミックに感じることばかりで、30歳くらいまでは作品について人に尋ねる必要性をまったく感じなかった。

──写真集を作ったときも同じですか? 2011年にプライベート・レーベルで出された『ローレンツ氏の蝶』は、2002年の個展で発表した作品を10年がかりでまとめていますね。

小平:どうしてこんなに時間がかかったのか、自分でもよく分かりません。これで良いと思える写真を部屋に貼って、更にその中でよい組み合わせと全体の流れに沿うものと考えると満足することはなく、写真が増えては減るという繰り返しでした。その長期間に手に入れたものは大きいのですが、その中に他者とのやり取りはありません。自分のことを個展以外で見せたくない、という意固地なところがあったのは確かです。

成り立ち方がちがう写真

小平:その写真集を見た湊さんが、ここに入っていないなにかがあるはずだ、と言ってくれたんですね。自分でも見せていないものがあることは自覚していて、でもそれは他人に理解してもらえるか自信がなかった。
写真は説明がないと分からないものなのか、といわれると言葉に窮するのですが、リフレクション展では準備の段階で何度もほかの出品者と言葉を交わすうちに、その人の作品がすごく見えてきたし、同じ地平で写真の話が通じるわけです。ならばひとまず、僕が持っているものをさらけ出してみようという気になって、意外にもそれがなんの問題もなく理解してもらえるという体験がありました。自分がそれまであれこれ思いつめていたことは、いったいなんだったのか…という感じで。

──つうじないかと考えて伏せていたものに対しても、他の方たちから、新鮮な反応が返ってきたわけですね。

小平:作品で言うと、この、山を写した1枚とか、あとヒトデの写真もそうですね。魚を上から撮ったのは数年おきに思い出しては焼き直して、10年くらい続けているんです。真ん中に魚が泳いでいるだけの写真なのに、なぜか気になるのだけど、どうも焼きがしっくり来ない。諦めきれずに新しくプリントしても、しばらくするともっと違うことができるのではないか、と思ってしまう。
その繰り返しの中である時なにか掴めたような気がして、それをリフレクション展のメンバーに見せてみたら、言葉で説明しなくてもその感覚をぱっと理解してもらえた。

──単刀直入な写真の類ですよね、山も魚もヒトデも。

小平:図鑑と紙一重ですよね。ただ、なにかが掴めているという不思議な感覚があるんですね。その直感が信じられるかどうか、ということなんです。
『ローレンツ氏の蝶』にはそういう写真は入れず、誰が見ても分かるような要素で写真集を構成しています。もっと偶然性が高く、この瞬間にこの場所で、というタイミングがないと撮れないものばかりですし、それが本の流れの中で自然に理解してもらえると思います。でも、山とかヒトデの写真にはその手がかりがないんですね。写真の成り立ち方自体が違っていて……もっと直感的でユング的というか……。

偶然を超越したものと俳句的直感

──ユングですか。

小平:高校生の時に『自然現象と心の構造』を読んだことが、僕の写真のはじまりになっているような気がします。シンクロニシティを扱っている本として知られていますが、科学では語りにくい部分を、堂々と学問として成立させていますよね。
世界と自分との関係について常に意識していると、ユングの言う「意味のある偶然」というものを何度も経験するようになる。そういう偶然を超越したものを写真で撮って説明できたらと思うんです。オカルトのように受け取られたりして、なかなか他人と共有できないことなんですが……。

──写真家として、偶然を超える物事を扱うということについて、もう少し説明してください。

小平:ユング心理学を写真で表現しようとしているわけではないんです。うまく言葉にできるか難しいのですが……撮影時の心の状態において奇跡的に見えたことを、写真上で伝わるようにするにはどうしたらいいか、ということです。僕が出会ったことを、他人も同じくらい強く共有できる写真が撮れるなら、すごいじゃないですか。それが、写真の一回性という、写真のいちばんおもしろい、いちばんの特殊な部分だと思うんですね。鈴木大拙が、俳句というのは直感で表象をとらえるもので、そこに思想なんて無いと言っているのですが、それとも通じることかもしれません。
でもこの種の、ある意味ひじょうに写真的ともいえる写真、ただただ写真、というようなものをどういうふうに見せたらいいか、ずっと分からなかった。「リフレクション」展はその行き詰まりを突破するきっかけになった気がします。
そしてそれを思いっきり出すことができたのが、次の個展(「他なるもの」)だったんです。

「他なるもの」――世界との対峙

──「他なるもの」は、つくづくよい展覧会名だと思います。写真の外部性を指していると受けとるなら、写真のひとつの定義ともなっていますね。このタイトルは、どの段階で浮かんできたのですか。

小平:展示の2ヶ月前くらいだったかな。リーフレットの原稿締め切りのころです。ずっと抱えてきた自分の感覚を、なんとか表現することができたと思っています。
テキスト自体、書き上げるまで1ヶ月くらい苦労していて、タイトルはほんとうにギリギリで「降って」きた(笑)。言葉ってやっぱりむずかしいなと思う。突き詰めて限界までいかないと、言葉は出せないし、出ないです。

──自分と世界との根源的な対峙の構図がむき出しで広がっているような展示でした。出品作品は、やはり長く取り組んできたものが多かったのですか。

小平:90年代末に撮影したものもありますし、すでに発表している写真も含めました。組み替え、並べ替えることで、個々の写真の解釈や見え方はがらりと変わりますからね。写真は1枚で成り立たせるにはほんとうにあえかで、キャプションひとつでいかようにも変わってしまう。写真の見せ方ってひじょうに繊細なんだと改めて思いますね。
会期中、来場者の反応を見ながら感じたのは、結局、世界は自分を通してしか認識できないということでした。それが「本当」なのかは、自分を信じるほかない。ある瞬間にシャッターを切るのは、自分でも理解できない深層心理にあるなにかがそうさせていると考えれば、外界を見ることは結局、自分の反応を見ていることに過ぎないのかもしれません。

──僕は加えてそこに、人間の歴史という位相をつよく感じました。端的に言えば「戦争」です。これは従来の小平作品にはさほど現われていなかったことではないでしょうか。

小平:先ほど話したように、自分と外界のあいだで瞑想しているような制作をしてきたので、被写体の場所性は意識してきませんでした。むしろ場所と関係なく物事を成立させたかった。
でも、自分が育ってきた風土や言葉からは逃れられないし、その場所でしか撮れないリアリティを持つものはある。土地には過去から脈々と受け継がれてきた文化があって、日本の歴史を考えれば、戦争や震災はどうしても避けがたくそこにあります。沖縄南部や福島など、やはり場所と無関係には撮れないです。沖縄戦の悲劇があった糸満の洞窟(ガマ)を撮ったものを見ると、あの時の自分の震えるような感覚がなぜこんな「絵」として成立してしまうのか……写真は恐ろしいと思います。こういった認識は「ローレンツ氏の蝶」の個展から本を制作する間に随分変わったと思います。

取り組み続けることでしか掴めないもの

──今回、出品される「二組の影像」は、どういう考えで進めていますか。

小平:半分は新作です。「他なるもの」が5月で終わって、「影像2013」が11月。10年かけて作品を作っているような人間にとっては、ありえないペースです(笑)。
今までの作品とは立ち位置を変え、自分から写真を離して、「自然」と「人工」というふたつの系列で作ってみようと考えています。それがこれからの僕の制作の糸口になるような気がしています。
写真を見る時、人は画面そのものではなく、そこになんらかのメタファーを読み取ろうとする。一方で写真には記録性があって、その場に立ってしか撮れないものでもあります。その中間にある写真、どんな図像も比喩でしかない、と仮定して、そこから見えるものの意味を絞りこんで探ってみようという試みです。

──「二組」という縛りが、逆に写真を自由に解放していく仕組みになるような予感がしますね。

小平:自然にでてきた構成なんですけれどね。自然となるというのは大事かもしれないですね。
今、写真はiPhoneなんかでみんなが撮っていて、素晴らしい一瞬が写せたりもします。でも写真家は、自らの関心を持続させ、取り組み続けていくことでなにかを掴んでいくことが重要なのではないか、と思っているんです。僕が「私は写真家です」と言えるのも、その積み重ねがあるからです。写真は世の中にいくらでもあって、いろんな用途に使われています。その中で、僕が写真家として作品をつくる意味がどこにあるのか。常に自問自答しながら撮り続けています。
長い時間をかけて写真集をまとめたり、個展をすることで、僕は自分の写真を客観視できるようになる。そこでようやく自分から離すことができる。「他なるもの」を終えたことで、今まで抱えてきたことが見えたような手応えがありました。もちろんそこには段階があって、また10年経ったら見えてくるものがあるのだと思います。だから、続けていても分からないことはたくさんあるけれど、それを抱えながら転がっていくしかない。今はそういう気持ちです。

(2013年11月4日 インタビュアー:大日方欣一 撮影:湊雅博)

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