「影像2013」 参加作家インタビュー(3) 下平 竜矢 さん

「星霜連関」のゆくえ

下平 竜矢

1980年神奈川県生まれ。2003年東京ビジュアルアーツ卒業。2003年〜2004年、Gallery Niepceに参加。2008年〜2011年、TOTEM POLE PHOTO GALLERY設立メンバー。

個展
2004 「孤独な鳥の太陽」Gallery Niepce
2005 「幻を見た」Luny Frog・青森
2008 「星霜連関」コニカミノルタプラザ
2009 「全景 / ATLAS」大蔵寺 維摩堂・神奈川
   「遠景その四 あるいは、目に見えるものとして」TOTEM POLE PHOTO GALLERY
2010 「祭り / MATSURI」ZEN FOTO GALLERY・北京
2012 「星霜連関」雅景錐 Gakei Gimlet・京都 ほか

出版
2009 写真集『Family』(TOTEM POLE PHOTO GALLERY)
2010 写真集『祭り』(ZEN FOTO GALLERY)
2012 写真集『ELEMENT』(field)
2013 写真集『風土 vol.1』(自主制作) ほか

視線の差異を感じとる

──下平さんの最近までの制作活動にはいくつか進行中の筋があったと思うんです。2011年にずっと続けておられた「Historic Future」。それから「ELEMENT」と呼ばれるシリーズ。長く続いている「星霜連関」のシリーズ。これらはいまの時点、ご自分の中でそれぞれどういう位置づけになっているのでしょうか。

「Historic Future」は、10回続けるということを最初に決めて、それではじめたものなので、2011年で一応区切りはついたものですね。
ゲストの方を毎回一人呼んで、その方が選んだ場所へ一緒に行き、半日一緒に撮り、半日別行動して、その写真で展示をするというものでした。最初は奈良でしたが、奈良はゲストである桂修平さんの地元なので、案内してもらいながらいろいろなところをまわりました、彼の生家を訪ねたりと。やはり二人の視線の差異、そういうものが一番大きく感じられました。

──「Historic Future」以外にも、下平さんは二人展をかなりやるじゃないですか。自分だけの発表ということばかりではなく、他者と交差するということにすごく積極的ですよね。

そうですね。自分ひとりでは見えてこないものが、相手との差異を感じる事で新しい感覚をもって見えてきたり、相手側が持っているものをこちら側に取り込むというか、そういう所が大きいんじゃないですかね。二人展でやることの意味というと。

二つが一つに流れこむ

──「ELEMENT」と「星霜連関」についてうかがいましょう。

「星霜連関」というのは、2006年頃からはじまったシリーズで、関東近辺の自分が住む地方で行われている祭りを最初は撮っていました。「ELEMENT」というのはそれ以外、祭りの周辺にあらわれるものや祭り以外のもので構成したものです。

──祭り以外で、ご自分が何ごとかに反応して撮ったものは「ELEMENT」に入ると。

そうですね。ELEMENTは要素という意味ですが、地球を一つの生命体ととらえた時に、それを構成する要素として自然や人工物だったり、さまざまなものが含まれてくる。日常的なものをスナップ的に撮る事も多いのですが、セレクトして作っていく中でより構成要素として感じられるものを「ELEMENT」と名づけてシリーズ化しました。

──ワンショットの写真の中で、要素にあたるもの、シンプルな単位みたいなものを一つ一つ見出し、定着していくという感じですか。

そうですね。

──このシリーズは、いま、どう展開しつつありますか。

いまは「星霜連関」というシリーズの中に集約され、流れこんでいます。

──つまり、当初「星霜連関」というシリーズは、祭りを撮るということではじまっていたけれども、いまではそれにとどまらない広がりをもつようになってきていると。

そうですね。

1

文字以前の記憶へ

──「星霜連関」って、とても大きなスケール感をもつタイトルですが、これは下平さんが作った言葉ですか。

はい。最初は祭りをメインとして撮っていたので、長い年月をかけていろんなものが繋がりあいながら、今のかたちをとっているという、そういう意味でタイトルにしました。
一つのシリーズに集約されてきているのはおそらく、「ELEMENT」と「星霜連関」で底辺に流れているものは同じだった、ということに気づいたことが大きいかもしれません。

最初から祭りだけを撮ろうとしていたのとは違いますけれど、やはり祭りというものに集中する期間が長く続いたので、祭りの写真がかなり増えていったのですが、去年(2012年)三重県伊勢市に来て、関東地方という今までの撮影現場から離れて、祭りからも少し距離をとってみて、そこで改めて考えた時にもともと祭りだけを撮ろうとしてたんじゃないと思い出したんですね。自分が本当に撮りたいものというのは、祭りというものだけじゃなくて、「ELEMENT」とあわせたもの、それが理想形に近いんじゃないかと。どっちか一方じゃなくて。言葉になる以前の記憶みたいな。文字として記録される前の、祭りのもとのもとのもとのかたちでしょうか。それは火を見て自分が感じたりすることと実はすごく近いものがあるんじゃないかな、と思って。

──いまはなんでも文字化され、複雑な情報社会になっているけれども、始源的な状態というか、意識のはじまりのところに遡っていこうという…。

かもしれないですね。

「影像2013」出品作から

──たとえば、下平さんのこの写真(1)、あまり聞いちゃいけないのかもしれないけど、どこで撮ってるのですか。

これは三重県です。虫送りの時の写真ですね。村の一番端っこの境に、麦わらで作ったたいまつを持っていってそこで燃やすというものです。まあ、祭りなんですけど、祭りとはいいきれない部分があると思います。あまり、“Theお祭り”というようなものは入れないようにしていて、祭りの写真なんだけれども、別の見え方ができるものを多くセレクトしているつもりです。

──ここ(1)にある炎と、次の写真(2)にある女性の顔に吹きよせる風。たとえばそういった火や風というエレメントが、2枚のあいだの共通項のようでもありますね。  

2

──こちらの写真(3)は、どこで撮られたのですか。

伊豆大島の三原山、裏砂漠から上がって火口付近にある、こんもりとした小山のようなものだったように思います。

──柔らかい感じがしますね。凍結された、動かしがたいものっていう印象ではなくて、これから次にどうなっていくかはわからないにしても、ある種の“可変性”、“可塑性”のような感触をどの写真からも受けます。

3

人へのアプローチ、人が媒介するもの

──例えば、『風姿花伝』をはじめとする須田一政さんの作品では、レンズを向けていこうとする事象などに下平さんの作品と共通している部分がかなりある気がします。須田さんという先行者と比較してみた時に、自作についてどう分析しますか。

やはりレンズを向ける事象などには共通する部分は多く感じます。おそらく影響もかなりあると思っています。ですが須田さんの人の撮り方というところで、僕とはやはり違うような気がしています。それは何を引き出そうとしているのかという部分の違いがあったりすると思うんです。須田さんの写真は強く異界感を被写体から引き出していると思いますが、僕の方は人は撮りますけど、個人を撮ろうはあまり考えていません。自分の目の前にいる人を媒介にして何百年も続く祭りの、もとの方へ遡っていけたらなと。面を着けている人を多く撮るのは、面によって個人を表す誰それという情報を脇に置いておきたいからかもしれません。

──その人を通じて感じられる、はじまりの意識ということでしょうか

そうかもしれませんね。
「星霜連関」は予定では、完成させるまでに10年くらいかかると思っていて、いま7年目くらいなんですけど、あと1年半伊勢にいて、それからまた(関東に)戻って、編集しながら足りないものを補っていこうかなと。それに2年くらい費やすとだいたい10年になるんで、そこでまとめて本を作れたらなと考えています。

(2013年7月14日、インタビュアー:大日方欣一)

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