「影像2013」 参加作家インタビュー(10) 白井晴幸さん

改造カメラ、図鑑、想像力の旅へ

白井晴幸

1981年東京生まれ。2012年 第6回 写真「1_wall」入選。
技法の創造からはじまる奇術的ユーモアと、幻像を寓意する写真哲学を指針としている。

グループ展
2009 「写真の時間」新宿眼科画廊
2009 「多摩美術大学映像演劇学科卒業制作展」Y gallery asagaya
2010 「126 POLAROID」横浜美術館アートギャラリー

出版
2010 写真集『126POLAROID さよならからの出会い』(共著、赤々舎)

 

改造カメラによる「どろん」シリーズ

──白井くんが参加しているアキバタマビのグループ展会場でインタビューをはじめます。「影像2013」展と並行して準備がすすんでいたこちらで白井くんは、「どろん」というシリーズを出品しています。この作品の成り立ちについて語っていただけますか?

まず撮影機材の話からしますと、既存のカメラを改造して撮っています。構造としては、コピー機とかスキャナーとかと同様、平行移動して読み取っていく装置です。いわゆるスリットカメラです。それを4×5の大判カメラに取り付けました。一カットにあたり露光時あいだを15秒くらいかけ、レンズを開きっぱなしの状態にして光が入ってくる、その光そのものを細い線(スリット)で、上から下、左から右へと読み取っていくという撮影方法を行っています。
 スリットカメラの存在を知ってから思いついたというよりは、僕はもともとコピー機が好きで、最初、大学の卒業制作でコピー機そのものをカメラにしようとしていたんです。ですが、電源の問題や、装置自体が大きくなり過ぎて移動が困難になること、それによって被写体が限定されるということなどから、一旦コピー機からは離れ別の方法を探すことにしたんです。

──コピー機でどんなものを撮ろうと?

以前にコピー機を使った作品があって、コピー機の上にただ紙をおいて、途中で持ち上げると、暗闇の中に歪んだカタチが写って、紙を持ち上げる軌跡だけで偶然に風景のようなものが立ち上がって見えてきたんです。その時に、自分で撮ったポートレイトや風景の写真なども使って、コピー機上で同様の方法を試み、それをシリーズとしてまとめました。その過程があって、土方健介さんの著書(『手作りカメラ工作法』朝日ソノラマ、1979)と出会い、カメラを改造しフィルムに定着することのできる方法を知りました。そして、今回の「どろん」に至りました。
土方さんの、カメラを変えていくという発想にはかなり感激し、また共感したんです。土方さんの本を参考に、カメラに手を加えていき、工作というレベルですが、実験を繰り返しながら市販のモーターを使ってカメラ内部で動くスリットを完成させました。そうして完成したカメラは中判の二眼レフのカメラを使用しましたが、遮光が完全でなかったり、スリットがフィルムを傷つけたりと問題点がたくさんありました。それで新型機として、それらの問題は解決させた大判カメラ版の二号機を完成させました。

工場のコトバと美術のコトバのあいだで

──「どろん」シリーズは、ポートレイトの作品ですが、こんなふうに人の顔の部分だけはなはだしくディストーション(歪み)が生じているのは、どういうことなんですか?

被写体に頭部のみを動かしてもらっています。人によって動かし方は異りますので、僕からの指示は、動かす際の注意事項を伝えた上で、被写体には動かし方を委ねます。ただ、左右に振るだけでなく、前後や上下などと、「動かす」幅を見つけてもらえるよう示唆していきます。その為に、被写体がリアクションしやすいように、カメラがどのような構造であるかを説明しおおよそ理解してもらっています。
 「どろん」という作品に関しては、一貫したテーマに沿って制作を行っているというよりも、複数のテーマが絡みあって自立しています。そのうちの一つはカメラそのものに手を加えるということ。その加えられた手が、定着された像に「歪み」を生じさせるということです。正確にはカメラに「手を加える」というよりも「手を動かす」という行為そのものに対する欲望と、動かした手が、カメラに対して受動的にならざるを得ない態度への批評に繋がっていきます。
あと二つ目は、自分が体験してきた、育ってきた環境からの視点です。大学に入るまでは、僕の周辺には、あまり美術とかに関心ある人が多くなかったんです。僕自身も強く美術に関心があったというよりも、興味の中心は映画や音楽にあって、それらを通して美術にも興味を持ちました。今のように、より美術に関わるようになってから気になるのは、美術に限らず写真も含めて、興味のある人とない人のあいだに、はっきりと境界線があるということでした。僕にとっては開かれたものであるにもかかわらず、美術というものが特定の人たちのあいだでしか存在していません。そういうことに僕はいきどおりを感じていました。
 このような意味で、僕はどちらにも属していたように思います。例えば具体的に、二十歳前後で過ごしてきた職場(工場)の人たちとのいつも会話であるとか、その一方で自分が興味を持つ美術の、その周辺にいる人たちと交わされる内容との両方にいました。そしてその双方で共通して用いることのできる言葉はないかと考えた時に、いつも口籠もってしまう。そのあいだの発想が欲しいのだけれど、どちらにも等しくかかわり合うことが難しいという状態が続いていたんです。テーマというより僕自身の指針の話になりましたが。

──工場で働いていた時期があるのですね。

高校を卒業してから三年間です。主に幾つかの工場で働き、それから高校時代も通っていた美術予備校に一年間、再び浪人し、大学に入ってからも長期休暇は工場で働いていました。冷凍庫だったり、携帯電話の工場だったり、大型自動車工場だったりとか様々ですね。

──美術の言葉と、工場の言葉のあいだの境界をどう越えていくか、というテーマをずっと抱えてきたと。

その場所にいつも立ち戻って考えてました。その時に改めて、映画があわせもっている娯楽性と芸術性とが、改めて自身の立ち位置との重なり合いを感じたんです。映画という表現媒体をかなり意識して作品をつくっているつもりです。うまくできているかどうかはわからないですけど。
 映画の黎明期が見世物興行として映画がはじまっていった歴史が僕には大変興味深いんです。映画も(写真と同様に)光と感光材料を用いた科学という側面をもちますが、その一方で、サーカスとか見世物へつうじる娯楽へと進んでいきますよね。同じことが写真史の中にもあったんじゃないか、ということが僕にとって大きなテーマの一つでもあります。ヌードとかゴシップなどということではない、それらとはまた異なる娯楽性、そういう面から写真を捉えなおそうと考えているところがあります。
 リュミエールの「列車の到着」が上映された当時、映画をはじめて観た人たちが受けた驚きの新鮮さがすごくうらやましいんです。それに近いようなことを写真を使って作り出してみたいし、追求してみたい。加えて写真の黎明期には誕生とほぼ同じくして、心霊写真にあるような呪術的な見解が発生していきます。それが虚実のどちらであれ、これは市井の人たちの科学に対する一つの楽しみ方だったのではないだろうかと想像することができます。20世紀初期イギリスの少女たちが残した有名な妖精写真(コティングリー妖精事件、1916年)を例に挙げると、あの写真はいわゆる彼女達の創作であって、事実を伝える為におこなったねつ造なのだけれども、それは僕にとって、写真の「真を写す」という理をひるがえす、挑戦のように思えたんです。彼女たちには写真に手を加えていく自由さというか想像力、そういう部分があると思うんです。写真にしてしまうと本当らしく見えてきてしまう。彼女たちの言い分だと、本当は妖精が見えていたんですよね。それを信じてくれないから写真で再現したと語っている。そして写真に写されたことによって、しばらくのあいだ、人々に信じられた。それらの出来事がすごくおもしろいなと思っていて、そのような意味でのトリック写真のあり方もヒントにしていきたいなと思っています。

──「どろん」の技法によるシリーズは、三年前の大学卒業制作のときの初期形態では必ずしもポートレイトばかりではなかったけど、今回は、集中的に人の身体を対象として扱っていますね。三年前と現在のあいだで、シリーズの展開にどんな変化を感じていますか?

今回は、より写真に向き合いたいっていうことが、強くあってこうなったと思います。三年前は、機械を見せたかっただけかもしれなくて、その後、この機械や技法を使って撮り続けたいというふうにあまり思えなかったんです。あのままだと、作品が閉ざされたままになってしまう。あのような方法がもたらす写真と、自分の個性みたいなものをちゃんと照らし合わされないと、機械や工作ということだけが特化して独立していってしまうな、と考えました。
 写真に向き合うというのは、言い換えれば、写真を見たときに、それを他のなにかにつなげられるような間(ま)を、自分の中に用意するということかもしれません。前回発表したときには、見てくれる人に対してもっぱらカメラの説明しかしていなかったし、受ける質問もそのことに限定されていた印象でしたが、今回は、それぞれが解釈したことを言ってくれることのほうが多くなっていますね。

インターネットで遭遇したまぼろしの部族

──「影像2013」展のほうへ話題を移しましょう。秋葉原でのグループ展の「どろん」と、影像展に出品する「invisible man」という、2つの作品をほぼ同時進行で準備することになったと思うんですが、それは白井くんにとってどんな体験になりましたか?

展示期間が重なっていたので、準備を勧める中で、二つの作品の発想が重なる中心を探すような作業ができたかな、と思いますね。今まで、手がけている作品に一貫性がないとか、それがわかりにくいということを人からよく言われてきたんです。自分としてはあるはずの一貫していると理解してるのですが、そう言われて、共通しているという説明も実は自分の中で落ち着いてなかったんです。でも、今回二つの作品を同時に制作してみて、それぞれの作品どうしがかなり近づいてきた、という手応えを感じています。

──「どろん」も「invisible man」も、今回かたちになってきた作品を拝見すると、どちらもポートレイトだし、正体不明ななにかとの遭遇であり、どちらにもユーモアをともなったエロティックさみたいな要素が含まれている。作品どうしに共有しあう部分がとても感じられますね。「invisible man」シリーズの成り立ちについて語っていただけますか?

南アメリカ大陸の最南端、チリとアルゼンチンにまたがるパタゴニア地方に生活していたヤマナ族と呼ばれる人たちがいて、およそ80年前に絶滅したそうです。僕はたまたまインターネットでその部族の資料画像を見つけ、衝撃を受けたんですね。そういう存在がいるということから、止めどなく頭の中でどんどん妄想がふくらみだした、というのがそもそもの始まりです。

──ヤマナ族のボディ・ペインティングを記録した20世紀初めの人類学的な資料写真にたまたまインターネットで遭遇し、そのとき受けた衝撃がちょうど、リュミエールの「列車の到着」初上映のときの観客たちの驚きにつうじていた…。

…かもしれないと思います。
 最初見たときは、たしかポルトガル語で書かれたページでしたし、あまり周辺的な情報を得られなかったんですが、ヤマナ族のボディ・ペインティングを記録した画像そのものが、果たしてそれが本当のことなのかフィクションの世界なのかということを超えたところで、写真としてすばらしいと思いました。民族衣装は今までもいろんな機会に見ていますが、それらとはまったく異なる、宇宙人みたいな印象だったんですね。
 そこに含まれている物語を想像させる、そういう喚起力にあふれる姿をしていた。しかし一方で、それが写真として記録に残されているということは、なんらかのかたちで近代文明が入り込んでいたということでもあります。
 とにかくその部族の姿に感動しまして、それがきっかけです。受けた衝撃を自分の中で咀嚼して、自分の中で育てていくというやり方をしていきました。史実について、ひも解いていくのはその後の順序になります。

図鑑的なまなざしの探究

──「invisible man」に関連する作品として、今も制作が進行中の2冊のブックを持参していただいています。まず、こちらはコラージュ・ブックですね。

これなどは「invisible man」と、写真への向き合い方がつうじている気がします。僕は図鑑の写真がすごく好きなんですが、これは子ども向けの昆虫図鑑だとか、人体図鑑、あるいは工作とか理科の図鑑、そういうのから写真の部分だけ切りとって集めているブックです。ずっと、図鑑のページから文字を指で隠して、いい写真だなあと見ていたんですが、思いきってそれを切り抜いて、集めて、それを再構成してみたわけです。既存の写真に対する僕のなりのアプローチというか、僕なりの再解釈をこうしたかたちで提示する、どのように見るかという見方の提示をしている、というところで「invisible man」と共通しているのだと思います。
 ある種、100パーセントではないにしろ、図鑑の写真って広くおもしろいものなのではないかという気がしてます。ほとんどの人が通過する、誰もが一度は目にする写真だと思うし、同時に見られているということに対する強度がある。インターネットで遭遇したヤマナ族の写真にも、それと同じ強度を感じました。

──もう一つのほうは、ご自分で撮った写真のブックですか?

ええ。自分の身のまわりにあるものを図鑑らしく撮るっていうことの研究なんですけど、現在も制作中で、再び素材を集めているところです。この繰り返しをしております。

──図鑑的に撮る、というのは、どういうふうに撮るの?

なるべく無感動に撮るということです。背景色をいろいろ用意していて、一つのアイテムについて4種類くらい背景の色を変えて撮っています。あと、盤面に落ちるモノの影が出ないよう、特殊な装置を制作して、モノが切り抜いたように写るように工夫しました。それが、より非・劇的になるんですね。

──なるほど。こういった図鑑的なまなざしによる探究があって、その延長上に、「invisible man」が出てくるわけですね。

はい。

「invisible man」とは誰か?

──ヤマナ族の記録写真と出逢った衝撃からはじまるという「invisible man」ですが、制作にあたって、どんなアイデアを立てることになったのでしょうか?

自分の知らないところにあのような存在がいる、ということは誰にとっても衝撃的なことだと思うんです。そしてそのことは、地球にはまだまだ可視化されていない未知なる領域があるのではないかという想像力が、一枚の写真によって喚起されるということでもあります。
 ある時点からは、僕の思いついた「invisible man」というのは、ヤマナ族からは独立していって、インターネットでの遭遇によって自分の中にひきおこされた衝撃や感動というものを再提示したい、という欲望に動かされてきたのだと思います。僕が一番重要視しているのは、ある地点まで想像力で飛んでいける好奇心、冒険心というか、そういう移動性についてなんですけれど。

──写真を見ると、たちどころにどこか思いがけない遠くへ連れて行かれる、ということ?

はい。最近になって調べたことなんですが、ヤマナ族がいた場所と僕がいま住んでいる場所を点と点で結ぶと、その距離は、およそ1万7千キロメートル離れているんです。距離を出してみて思うのは、それまで思い描いていた妄想の移動距離は地球の裏側だったのかということ。そういうおもしろさを、あらためて感じました。そのこと自体、つまりその移動性が作品なのだな、と思うんですね。
 「invisible man」とは、彼らが写真を見た者の想像力の中にしか存在しないという意味であります。それと同時に、妄想の中を旅する僕自身だと、いまはそう思えてきました。つまり僕はあの作品で、そこが具体的にどこに位置するのかということとか、彼らは史実としてどのような存在だったのか、ということをとくに提示したいわけでもありません。そういう匿名的な意味での「invisible man」だという言い方もできるんですけど、そうではなく、この妄想の世界入り込んだ人こそが「invisible man」なんじゃないかな、って思います。
 それでも、120人に1人くらい、写真を見て、事実と虚構との区別がつかなくなってしまう人がいても、素敵だなと思いますね。

(2013年11月17日、インタビュアー:大日方欣一 撮影:廣瀬育子、小平雅尋)

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