「影像2013」 参加作家インタビュー(6) 宇田川俊之さん

連なるイメージと、記憶とのあいだに

宇田川俊之

1987年埼玉県生まれ。2010年日本大学芸術学部写真学科卒業。卒業後フリーランスとして活動を始め、空間や行為についての考察を連続するイメージやその集積から探る。

個展
2012 「リバーブ」TAPギャラリー

グループ展
2011 「ヴィジュアル・コミュニケーション展」茨城県つくば美術館
2012 「TOKYO PORTFOLIO REVIEW Vol.05 」Art Chiyoda 3331
2012 「ヴィジュアル・コミュニケーション展」茨城県つくば美術館 ほか

 

根源的なイメージの在りかを探る

──今回の「影像2013」展では、「リバーブ」という作品を出品されます。どのような作品ですか。

キーワードは「再演」です。プライベートで僕が撮影したスナップを、後日、あらためて同じ場所・同じ被写体で撮り直すというものなのですが、あるイメージを再現しようとした時、そこにどのような変化が起こるか、また両者を並べて展示することで、写真の意味がどう変わるか、ということ考えてみたいと思っています。
元の写真ではモデルの自由な動きを撮っているのですが、完璧にそれをなぞろうとしてもどうしても違いが生じてしまう。同じシチュエーションという拘束をかけた時の、身体の機微にも興味があります。
昨年の冬に、江東区のTAPギャラリーで開催した個展で発表したシリーズに、新たに撮りおろした作品を加える予定です。

──その個展では、個人的な写真の位相を強制的に変えてみる試みだとおっしゃっていました。

大学生の時、父がデパートの催事場でコスモスの絵をいきなり買ってきたことがあったんです。父は美術の専門教育を受けたことのない人だったから、僕は「なんでそんな絵を買ったの?」って言ったんですね。高いお金を出すなら、もっと評価されているいい作品も買えるのに、って。でも後になってよく考えると、それは有名かどうかといった外部的な要素で見ているのであって、単純に「好きだから」という父の方が、純粋に絵を見ているのではないか、と気づいた。
実際、作品のイメージは作者が作りあげたそのものだけでなく、作品に付随してくるさまざまな条件が関わって形成されていきますよね。ならば根源的なイメージの在りかって、どこにあるんだろうと、それを探ってみたいと思ったんです。

こぼれ落ちる記憶、そのあいまいさ

──同年のグループ展(「ヴィジュアル・コミュニケーション展」茨城県つくば美術館)では、「リバーブ」の前身ともいえる作品を出していますね。

「フォーク」というタイトルで、2台のカメラを横に並べて、同時にシャッターを切って撮った写真を展示しました。写っているのはほぼ同じイメージですが、よく見ると画角やタイミングにズレがある。被写体は、団地の裏のフェンスや空き地とか、さびれたマンションの壁とか、地元のなんでもない河原など、歩きながらなんとなく気になった風景です。ただ、写っているものに記号的な意味を持たせたくなかったので、感覚的にいいな、と思う場所をなるべく無作為に選んでいます。写っているのはほぼ同じイメージですが、よく見ると画角やタイミングにズレがあるものです。
1枚の写真というものは、一種の決断によって無数のイメージの中から切り取られたものです。この決断によってこぼれ落ちるものがあるということが、とても気になったんですね。「選択」とか「決断」という意識は、震災をきっかけに強くなったと思いますが、そこから「分岐(フォーク)」という発想が生まれました。

──それより以前の日芸(日本大学芸術学部写真学科)時代は、どんな作品を作っていたんですか?

今も続けているシリーズに、1日歩きまわって撮影したカットをレイヤーで重ねて、1枚の写真にするという作品があります。数十枚をまとめると、何が写っているかよく見ないと分からない。その中には1日のすべてが入ってはいるけれど、十全には見えないんですね。イメージをかたちづくる要素のひとつは、個々人の記憶だと思うのですが、その記憶も単数ではなくて複数がまとまって構成している印象があるんです。記憶は単体としてはどんどん曖昧になっていく。そのゆらぎも含めて視覚的に表現できないかと思って作っているシリーズです。
ほかに、何人かの友人に同じ日に撮影してきてもらった写真を回収して、僕がセレクトしてまとめた作品もあります。自分とはまったく関係のないところで作られるイメージを扱うことで、写真のオートマティックな性質を確認してみたかった。恣意的な写真から離れて、イメージを自分自身から手放してみようと考えた作品です。

日常をアーカイブする写真

──作品それぞれが写真論を追及する、写真についての写真という取り組みですね。

ほんとうは写真論からは逃れていきたいなと思っているんです。もともと大学でベッヒャーの作品に触れて、写真から生まれるイメージってなんだろうと考えはじめたこともあって、理論から制作のヒントを得ていましたが、それに深く固執してしまうと窮屈になってしまうので。
大学時代は単純なスナップシューティングにはあまり惹かれなかったんですが、このごろは個人的な写真にも興味を持つようになりました。例えば両親の新婚旅行のアルバムを見ても、素直にいいなと思います。ノスタルジーなのかもしれませんが、写真におけるアーカイブの側面も肯定的に見ています。
「リバーブ」は、そういう自分の中の変化を追究してみたいと思って制作しているシリーズでもあります。元になっている方のスナップは、自分の中で大切にしている思い出なんです。

──再演した写真を並べることで、単体では気づかないオリジンの魅力がほのめいてくるかもしれませんね。もっと遡って、写真に興味を持ったのはいつごろですか。

写真を撮りはじめたのは、小学生のころからです。遊びに行ったこととか、人に会ったこととかを、すぐに忘れてしまう性質で、憶えておくために日常的にコンパクトカメラを手にして、パチパチ撮っていました。
高校生になると、女の子の間では写真が日常的に撮られていたのですが、男子はそうでもなくて、変なヤツと思われていたみたいです(笑)。何人かはコンデジを持っていましたけれど、当時はまだフィルムが主流でした。撮るのが単純に好きだったんですが、それはあとでプリントを眺めていろいろ思い出すのが楽しかったんだと思います。友だちから「写真を見ないとぜんぜん思い出せないんだね」と指摘されるくらい、撮っていない事柄はすっかり忘れてしまって。思い出を託すためにカメラを持っていたわけではないんですが、写真を記憶装置として意識するようになったのは、そのころからです。
でも、専門的に写真を学ぼうという気持ちはまだなかったし、写真家の作品を真似することもありませんでした。作品をつくるという意識もありませんでした。第一、そんな世界があるなんて発想すらなかった。

──記憶のよすがのためのツールだったわけですね。

僕はモノを捨てることができないんですが、それも記憶のためなんです。小学生のときの宿題のプリントとか、ガチャガチャのおもちゃとか、律儀に学年ごとにダンボールにまとめて、些細なものほど忘れてしまわないように保管してきました。今となっては、それを見てもなにも思い出せないこともあるのですが、忘れてしまうことが怖くて捨てることができない。
写真やモノを見ていろいろ思い出すクセは今も変わっていません。振り返ってみると、僕の記憶はそういう手がかりのあるものなどから構成されているのかもしれません。そうやってそぎ落とされてしまったものはたくさんあると思います。

多彩な領域に開かれていること

──「影像2013」展では、宇田川さんを含む第2セクションは、かなり音楽的な作品が並ぶと思っているんです。反復的だし、時間的な構造が空間化されている。遠目からはミニマルな要素の連なりを記譜したグラフィックスコアが並んでいるかのように見えるかもしれないと予感しています。

表現の方法として、写真と音楽との関連はあまり意識したことはありませんが、大学生の頃でけっこう本格的にバンドをやっていました。パートはベースです。アングラ音楽が好きな人がまわりに多くて、それに影響されて。その後、写真にかける時間を増やしたいと思って、両立はできないなと思って音楽活動からは離れました。これ、と決めたらそれだけを突き詰めていく傾向があったんですが、最近は逆に、映像や映画などにも興味を持ち、いろいろな手法を試してみたいと思っています。立体表現にも興味があります。
もともと高校生のときは建築科志望だったんですね。住宅建築が好きで、将来はフランク・ロイド・ライトの落水荘みたいな家を作ってみたいと思っていました。でも受験前に一眼レフに出会って夢中になり、写真学科へ進みました。大学を卒業して今、フリーランスで建築写真の仕事をしているのも不思議な縁ですよね。
いずれにしても、自分の表現をするときに選択するメディアに対して、常にオープンでありたいと思っています。

──宇田川さんの作品では、複数のイメージが降り積もっていくさまが提示されていく。「連鎖」とか「移動」といった言葉も浮かんできます。

1枚でバシッと見せる完結型の写真にも憧れはありますが、イメージの連結の中で見せるやり方がしっくりくる感覚はありますね。組写真とは言いたくないのですが…。
「移動」について指摘されたことは以前にもあります。自覚的に撮っていたわけではないのですが、歩きながら撮るというスタイルは大事にしています。
実は、今回のグループ展のステートメントを読んで、大日方さんが書かれた「軽さ」という言葉に惹かれているんです。実験工房に対する僕のイメージも、ゆるやかで軽い。おのおの違うベクトルを持っていて、造形や音楽や写真や言葉など表現も異なるけれども、それがゆるい連帯でつながっていて軽やかさを生み出している。すごく魅力的ですよね。「影像2013」展も、そんな軽さが感じられるような展示になったらと思っています。

(2013年8月18日、インタビュアー:大日方欣一)

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